その声が聴きたくて、聴きたくて

gawa L'anglaise 1782

250年の時を経て、朽ちたドレスの断片が、いま再び「布」として姿を取り戻そうとしています。

語らぬ衣服と向き合い、糸の一本一本に耳を澄ます。
そんな営みを通じて、わずか20メートルにも満たない布が織り上がる姿をおとどけします。


私は織りの専門家ではありません。
糸の密度や張り、番手を正確に読み解くには限界があります。

そこで通訳を務めてくれたのが、毛織物職人の上村 直也さんでした。
彼の目と手が、18世紀の断片を「いまの言葉」に置き換えてくれたのです。

その結果、私たちはひとつの選択をしました。

「葛利毛織で織らない」


これまで私は、上村さんと共に葛利毛織のションヘル織機を用いて歴史的な布を実験的に織り上げてきました

100年を超える歴史を背負う葛利。
1932年から変わらぬ音を響かせる織機。

その確かな技術は、半・分解展の布づくりに欠かせないものでした。

ではなぜ、葛利で織らないという選択をとったのか。


今回、挑戦している18世紀のチェック柄は、あまりに難解で、あまりに繊細な声を持っています。

その声をすくいとり、織り上げたい。

企画設計は、これまでと変わらず上村 直也さんに任せ、製織を葛利毛織からほど近いシバタテクノテキス株式会社にお願いしました。

半・分解展が、収集/研究し、
上村さんが、解析/設計し、
そして、製織を柴田さんへ託す。

職人たちが通訳者のようにバトンを渡し、この布はつながれていきました


シバタテクノテキスには複雑で緻密なチェック柄を織り上げるための環境が整っています。

今回選んだのは、ベルギー・Picanol(ピカノール)社製のレピア織機です。
シャトルを使わず、レピアが緯糸をくわえて運ぶ仕組みのため、種類の異なる緯糸や細番手でも安定して扱え、多色使い・高密度のチェックに強みを発揮します

18世紀の生地がもつ「細い糸 × 多い色 × 高密度」という条件にもっとも近づける選択であり、同時に現代ならではの技術です。

歴史への敬意と最新の機構が交差する瞬間に立ち会えることこそ、ものづくりの醍醐味だと感じます。


この写真は織機にセットした経糸のうえに、お手本となったドレスの断片を重ねてみたところ。
上村さんが設計した5796本もの糸が整然と並んでいます。


この経糸のあいだを緯糸が走り抜けることで、少しづつチェック柄の模様が浮かび上がり、布になっていくのです。
繊細な仕事ですが、レピア織機はションヘル織機に比べ、3~5倍ほどの高い生産能力を有しています。


緯糸が通り、布になっていく様子

もちろん、すべてが順調ではありません。
前回の記事の終わりでも触れたように、最初の試織は盛大に失敗しました。

緯糸の色味が強すぎて、生地全体が濃いピンク色に織りあがってしまったのです。
(でもこれはこれで、可愛いのかもしれない...)



その場ですぐさま設計を見直し、修正に取りかかりました。
万全を期して織り始めますが、失敗は付きものです。

だからこそ責任者である私自身が現場に入り、クオリティをチェックします。
「18世紀の良し悪し」を判断できるのは、私しかいません

布の声を聴きとり直しながら、着実に一歩ずつ前へ進んでいきます。


写真左から、製織を担当するシバタテクノテキス代表取締役社長 柴田さん
企画設計を担当する葛利毛織工業株式会社 上村さん
サポートとして葛利毛織工業株式会社 大井さん

心強いプロフェッショナルが揃っています。


現場では私自身が、上村さんに修正の要望を伝えます。
私は織りの専門家ではありません。
できることは、目指している18世紀のクオリティのYES・NOをハッキリと言葉にする。ただそれだけです。


組織図を確認し、修正を加える

そして上村さんがすぐさま技術的な修正案を出し、柴田さんと組織図(布の設計図)を確認します。

こうして少しづつ、ほんとうに少しづつですが、半・分解展の布づくりが進んでいます。
このような挑戦ができるようになったのも、半・分解展を応援してくださる皆さんのおかげです

どうか完成までお付き合いください。
きっとまた、皆さんの知的好奇心をくすぐるクリエイティブをお届けします。


次回は、なぜ葛利毛織で織らなかったのか...いや、織れなかった決定的な理由をお話しします。
それは私がどうしてもこだわりたかった、ある部分。

芸術の域まで高められた18世紀の布の、裁断を支配した「織りの制約」について紹介します。


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