前回の記事では、葛利毛織のフランネル復刻について書きました。
今回は「葛利毛織:訪問記」として、私が信頼を置く職人さんや工場での様子を紹介します。
葛利毛織と一緒に生地づくりをするのは、実は今回が3度目。
「150年前の裏地」や「200年前の表地」など、服飾史おける稀有な素材を、実験的に織ってきました。
今回の生地づくりは、どうなるのでしょうか。

...それは2016年。
紳士服の歴史を振り返ると、2016年はスーツ生誕350周年にあたります。
この節目に合わせ、私は会社を辞めて独立し、「半・分解展」という自主企画の展覧会の三都市巡回に挑戦しました。
京都、愛知、東京、三都市を巡る展示。
そのなかで、愛知展だけは、予算や時期の関係で規模を縮小せざるを得ませんでした。
後ろめたい気持ちで迎えた展示でしたが、今振り返ればこの場所でこそ、もっとも大きな実りを得たのです。
入口から、低く小さな声がしました。
「……素人なんですが、入っても大丈夫ですか?」
西洋のぼろぼろな古い服を身にまとった、あどけなさの残る若い男性。
「どうぞ」と返すと、彼は緊張を隠せない面持ちで会場に入り、展示された服を、ただじっと見つめ続けました。
彼は、展示するたった6着の服に、5時間も向き合っていました。
翌日には友人を連れて、再び足を運んでくれたと記憶しています。
なにを話したでしょうか。
古着の話から、服の構造の話、大学生活や就職活動のこと、そして夢のこと。
不思議なほど会話は途切れず、ただ自然に続いていきました。
展示が終わってからも、彼との繋がりは途切れませんでした。
機屋(はたや)に就職が決まったという報告。
服づくりを学びたいという相談。
泊まり込みでシャツの縫製を教えた夜。
そうして迎えた2018年、2度目の愛知展。
彼はまた、あの日と同じように、じっと服を見つめていました。
そしてまた、あの日と同じように、多くの言葉を交わしました。
展示が終わったあと、届いたメッセージ。
それは、あの日と同じような、報告でも相談でもありませんでした。
「半・分解展の感動を、僕に織らせてください」
ここから、葛利毛織工業株式会社の職人、上村直也さんとの生地づくりが始まったのです。
上村さんとのものづくりも、気付けば10年が経とうとしています。
彼の環境も、私の環境もおおきく変化しています。
しかし私たちはあの日と同じです。
ものづくりの楽しさや苦しみをひとつふたつと積み重ね、変わらずに笑いながらものづくりを続けています。
この夏、久しぶりに葛利毛織を訪問し、実りある時間を過ごすことができました。
ここからは、そんな葛利でのひとコマを紹介します。
機屋あるある・その1
「人との距離感は保てるのに、生地との距離感はバグってる」
当日、私が履いていたズボンの生地に興味津々。
二度目ましてとは思えない勢いで、両手で生地を揉みほぐすのは、葛利毛織の大井さん(好き)& 常習犯の手付きでスッと片手で触る上村さん。
(ちなみにズボンの生地はラバットのキッドモヘア100%です)
そして、お久しぶりですの挨拶中に我慢ができなくなり、3代目の葛谷社長が着ていたドスキン生地に、自然と手が伸びる長谷川。
(このあと葛谷社長にも、ちゃんとズボンを触られました)
みんな…ちょん。と触るのではなく、味わうようにクシャクシャと無秩序に触ってきます。
機屋あるある・その2
「他社さんの生地に興奮する」
訪問した日は、ちょうど尾州のカレントさん関連の生地を織っている真っ最中。
素敵な生地たちが織られていく様子に、こちらも勝手にテンションが上がっていきます。
私も大好きな生地である「3日で1反クロス」もガシャン、ガシャンと音を立て、糸から布へと姿をかえつつありました。
尾州のカレントは " びしゅうは楽しい " をスローガンに掲げ、産地から色とりどりの声を届けているチームです。
機屋あるある・その3
「生地選びで時間が溶ける、溶ける」
創業1912年の葛利毛織には、膨大な量の生地見本がアーカイブされています。
初めて葛利のアーカイブ室を訪れたとき、そのあまりの生地の量に溺れました。
今は上村さんという心強い仲間がいるので、あらかじめ要点を伝え、いくつかの生地をピックアップしてもらいました。
あの日見た、あどけない青年の姿はもうありません。
今は、尊敬するひとりの職人として私の前に立っています。
さて、訪問記の締めは、上村さんと初めて撮ったであろうツーショットです。
この人だから、織ってほしいんです。
上村さんだからこそ、託したい。
私が一緒に仕事をしている人たちは、みんな半・分解展で出会った人です。
同じものをみて、なにか共感することができた。
その感情を、言葉や手で共有できた。
そんな人たちと仕事ができて、私はほんとうに幸せです。
上村さんと私の生地づくりに、ご期待ください。
フランネルだけではありません。
私たちは、もうひとつの生地づくりにも、頭を抱えながら取り組んでいます。
もう赤信号では止まれない。