18世紀の生地づくりは、初めての連続でした。
婦人服であること、チェック柄であること、そしてシルクであること。
そのどれもが私にとって新鮮で、どう解釈し「半・分解展」らしい布へとつなげていくか。
前回の記事では、なんとかこぎつけた試織の様子をお伝えしました。
今回は、18世紀の裁断を大きく左右した「織りの制約」について触れてみたいと思います。
こちらは、18世紀フランスの紳士服「アビ・ア・ラ・フランセーズ」です。
目を惹くのは全体を覆う手刺繍。
コート、ウエストコート(ベスト)、キュロット(半ズボン)に散りばめられた刺繍は、単なる装飾にとどまらず、王室の保護のもと「芸術」の域へと高められました。
モードをけん引するフランスにとって、この芸術を継続することは国家的な命題。
技術を守り、需要をつくり、供給を絶やさないこと。
供給を安定させるために、「とある制約」が生まれたのです。
こちらは大変珍しい18世紀末の「裁断前の布地」です。
" 布の状態で、すでに刺繍が施されている " のが確認できます。
刺繍のデザインを見るかぎり、ウエストコート用のものだと分かります。
とある制約とは「刺繍が裁断を支配する」ことでした。
非常に時間のかかる刺繍をあらかじめ済ませておき、注文後はすぐに裁断・縫製へ進める仕組みです。
結果、身体に合わせて布を自由に裁つのではなく、刺繍の模様に合わせて裁断することになります。
現代の服づくりにおいて刺繍をする場合は、裁断をしてからパーツごとに刺繍をするか、洋服のかたちに縫いあがってから刺繍をするのが一般的です。
しかし18世紀に優先されたのは刺繍であり、芸術でした。
そこに時代の価値観の違いや、テクノロジーの進化が如実に表れています。
この仕組みは刺繍だけでなく、「織り」も適用されました。
こちらは、複雑な織り模様の布地からつくられた18世紀末フランスのウエストコートです。
刺繍と同様に、生地を織ることは非常に時間と手間のかかる仕事であり、まぎれもなく芸術のひとつでした。
私はこの制約に強く心惹かれました。
現代ではほとんど行われない厳格なルール。しかし、それを逆手にとれば、当時の美意識を現代へと響かせることができるのではないかとも考えました。
そこで着目したのが「ボタン」です。
このウエストコートには、ボタン専用の模様が織り込まれていました。
その痕跡は、肩先部分に確認できます。(矢印部分)
肩先の目立たない箇所にボタン専用の模様を織っておき、そこからボタンをつくることは、当時よく用いられた技法のひとつです。
私は、半・分解展のオリジナル生地に、ボタンの模様を織り込むことを決めました。
上村さんにその想いを伝え、模様を設計してもらいます。
この時点ですでに、葛利毛織のションヘル織機では織れないこと※が決まっていたのです。
今回の生地づくりのベースは、1780年代の婦人服「ローブ・ア・ラングレーズ」です。
そこに同時代の紳士服、ウエストコートの「ボタン模様」を織り込みました。
ただし当時と同じ位置に配置すると、生地の不足が多く出てしまうことになります。
そこで、生地の端にボタン模様を織り込むことで、裁断の自由度を保ちながらも、18世紀の芸術文化を同居させることに成功しました。
この模様をボタンにして使っても良し、またはコートやスカートの裾に配置して「個性的な柄」にしても面白いでしょう。
私は、18世紀の制約を逆手にとり、この布を使う皆さんが個性を発揮する遊びの部分として表現しました。
葛利毛織のションヘル織機で生地づくりを続けてきたからこそ、紳士服を専門に学んできたからこそ、それぞれの歴史・文化・芸術が美しく花咲く場所を選ぶことができました。
さぁ、もうすぐ試織が仕上がります。
この記事を書いているのは出張前日。
自分の目と手を信じて、確認してきます。
いってきます。