このたび、gawaの発表の日を決めました。
2026年3月21日です。
それは、私にとって独立してちょうど10年目を迎える年でもあります。
【ブランドを始めます】
【想像の根をおろし、創造の芽をひらく】
2016年という年は、歴史的には「スーツ生誕350周年」にあたります。
その節目に合わせるようにして、私は独立をし「半・分解展」を始めました。
試行錯誤を重ねながら続けてきた活動ですが、そのなかで数え切れないほどの出会いがありました。
出会ったときは学生だった方が、今では毛織物の職人になっていたり、縫製士として活躍していたりします。
半・分解展を続けてきたからこそ、その道を共に歩んでくれる仲間に出会えました。
かつてはお客さんとして話していた学生が、今では私のものづくりを支えてくれる、欠かせない存在となっています。
今こうしてgawaという取り組みを少しづつ形にできるのは、本当に楽しく、幸せなことだと感じています。
しかし、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
独立当初、私は一度ブランドづくりに挑戦したことがありました。
テーマに据えたのは「ダブルフェイス」という縫製技術。
二重織の布を使い縫い代を内側に収め、フラットな着心地を表現する独特の仕立てに強く惹かれていたのです。
しかし当時の私には、理想の生地を織る資金力などありませんでした。
産地を巡り、機屋を訪ね、数十年前に織られたサンプル反を少しずつ買い集め、ようやくものづくりを始めたのです。
縁あってダブルフェイス専門の海外工場の社長とも知り合うこともできました。
その工場は大手セレクトショップやメーカーの仕事を中心にしていましたが、社長が私と同じく紳士服出身ということもあり、テーラードの技術について話すうちに意気投合したのです。
私の小さな挑戦にも興味を持ってくださり、オリジナルのジャケット制作に協力してくれました。
生地も限られるなかで、安くはないサンプル代を支払いながら3度の試作を重ねました。
独立したばかりの私にとっては、大きな学びと喜びに満ちた時間でした。
3着目の打ち合わせのために海外へ出張したとき、ようやく納得のいく一着が完成しました。
完成品を手にしたときの喜びは、今も鮮明に覚えています。
しかしその直後、思いがけない言葉を社長から浴びました。
「長谷川くんのジャケットの型紙は本当に素晴らしい。日本の某有名セレクトショップの営業さんも気に入って、来季のジャケットの型紙に使わせてもらったよ」
その瞬間、私は呼吸が苦しくなりました。
どう反応すればいいのか分からず、笑顔を繕いながら心の中では涙していました。
むしろ、型紙を褒めてもらったことに、礼を述べた記憶さえあります。
私の型紙は、私の知らないところで無断で使われていたのです。
そして誰もが知るブランドの製品として、世に出ていました。
その日を境に、ブランドの挑戦は終わりました。
これは私の思い出話ですので、どうか同情はしないでください。
ただ、その苦い経験は、今の私に大切な問いを残しました。
そして、振り返れば私自身も過去に、仕事仲間に対して似たような過ちを犯したことがありました。
相手の技術への理解と尊敬が足りず、結果として傷つけてしまったのです。
謝罪はしましたが、今も後悔の念は消えません。
この反省を胸に刻み、今一緒に仕事をしてくれている方々には、絶対に同じ過ちを繰り返さないと心に誓っています。
だからこそ、今この瞬間、半・分解展で出会った人たちと共に仕事をできていることが、心の底から嬉しいのです。
私にとって半・分解展は、私のすべてを表現している場所です。
粗削りで未熟ではありますが、誰もやっていないことを提示できているという自負もあります。
そこに集い、同じ衣服を見て、美しさに心を揺さぶられた人が、やがて針を握り、糸を紡ぎ、言葉を紡いでいく。
その連鎖のなかに今の仲間がいます。
そして、そのつながりが「gawa」をかたちづくっています。
私はgawaがきっと成功すると信じています。
いや、必ず成功させます。
継続は力なり。
大きなことを一気に成し遂げるのではなく、小さく小さく、少しずつ積み重ねていくこと。
その歩みこそが、これまで私が続けてきた道であり、私の思い描く成功のかたちです。
そしてこれからも、その道を進んでいきます。
2026年3月、gawaは歩み始めます。
これはただのブランドの立ち上げではありません。
過去の痛みを糧にし、仲間と共に挑戦を続ける、新しい旅の始まりです。