壊したさきに、美をみてしまったから
長谷川彰良(はせがわあきら)は、ふるい服を集めている。
コレクターとはちょっとちがう。
美しいアンティーク品をただ眺めているわけではない。
彼が見つめているのは、表に現れた刺繍や絹の光沢だけではなく、その奥に隠された縫い目であり、補強の芯地であり、何度もほどかれ、縫い直された痕跡である。
華やかな衣服の内部には、名もなき職人たちの手がある。
針を運んだ人。
布を裁った人。
身体に沿わせかたちを整えた人。
傷んだ箇所を繕い、次の世代へ渡した人。
歴史書には記録されなかった彼らの仕事が、衣服の裏側には残っている。
長谷川は、その声を聞こうとしている。

彼が研究するのは、主に18世紀から19世紀の衣服である。
王侯貴族のために仕立てられた豪華なドレスもあれば、無名の人々が身につけた質素な下着もある。
社会的な価値は、まったく異なる。
高価な絹のドレスは美術館に収蔵される。
一方、粗末な麻の衣服は、歴史の中から消えていく。
しかし、衣服の構造を見れば、そこに単純な上下関係はない。
豪華なローブ・ア・ラ・フランセーズも、使い古されたシュミーズも、限られた布を無駄にせず、人の身体を包むために、驚くほど合理的につくられている。
階級は違っても、布と身体に向き合う知恵は共通している。
長谷川は、そこに「服飾史」という言葉だけでは捉えきれない、人間の営みを見る。

衣服の歴史は、しばしば外見によって語られてきた。
シルエット。
色彩。
流行。
王妃や貴婦人の肖像画。
だが、外見だけでは、衣服がなぜそのかたちになったのかは分からない。
なぜ、この場所に切り替え線があるのか。
なぜ、ここだけ縫い代が広いのか。
なぜ、同じ布が別の場所から移されているのか。
なぜ、左右で構造が異なっているのか。
それらは、実物を手に取り、内側を観察しなければ見えてこない。
長谷川は、衣服を「作品」として鑑賞するだけでなく、「標本」として読み解く方法を選んだ。
動物の骨格を調べるように。
植物の断面を観察するように。
建築物の構造を確かめるように。
衣服を分解し、型紙を採り、縫製を再現し、実際に着用する。
そして、平面の布が立体的な身体へと変わる仕組みを解き明かしていく。
彼が名乗る「衣服標本家」という肩書きは、既存の職業名から選んだものではない。
自らの活動を説明するために必要となった、新しい名前である。

研究を続けるうち、長谷川のもとには、数百点の歴史的な衣服が集まった。
だが、衣服は所蔵されているだけでは、十分に語ることができない。
箱の中に収められ、ガラスケースの向こう側に置かれているだけでは、布の重さも、縫い目の細かさも、身体に沿って形が変わる感覚も伝わらない。
そこで彼は、「半・分解展」を始めた。
文字通り、半分だけを分解する展示。
壊すためではない。
つくり方を見えるようにするためである。
表層の完成された姿と、内部の構造を同時に見せる。
さらに、来場者が展示品に触れられる環境をつくった。
美術館では、作品に触れることはできない。
しかし長谷川は、触れることでしか知り得ない感動があると考えた。
布の厚みや重さは想像を超えてくる。
ミシンではない手縫いの不均一に温度を感じるかもしれない。
何百年という時間を経た繊維の感触は、現代衣服とはあまりにかけ離れたものである。
触れた瞬間、歴史は知識ではなく、身体の記憶になる。
半・分解展は、ふるい服を並べた展覧会ではない。
現代に生きる人と、過去に服を作った人とを、衣服を介して出会わせる場所である。

長谷川の仕事には、ひとつの矛盾がある。
歴史的な衣服を守ろうとすれば、触らせない方がよい。
未来に残そうとすれば、箱にしまっておく方が安全である。
それでも彼は、衣服を開き、人に見せ、触れられる場所をつくる。
なぜなら、物は保存されるだけでは、生き残ったとは言えないからだ。
そこに込められた技術が理解され、
誰かの記憶に残り、
新しいものづくりへと受け渡されて、初めて文化は続いていく。
彼が残そうとしているのは、ふるい衣服そのものだけではない。
「なぜ、美しいのか」
そして、美しさの理由を残すために、彼は分解を厭わない。

長谷川は、歴史的な衣服の型紙を制作している。
型紙は、衣服のかたちを写し取っただけの輪郭ではない。
そこに記録されるのは、表からは見えない構造である。
完成した衣服を見ただけでは分からない思考が、型紙の上には現れる。
長谷川にとって型紙は、研究の副産物ではない。
実物から読み取った知恵を、もう一度誰かの手に渡すための記録である。
型紙を受け取った人は、布を裁ち、縫い合わせる。
すると、平面だった線が立ち上がり、かつて存在した造形が目の前に現れる。
見るだけでは、読むだけでは分からなかったことが、つくることで分かる。
そして袖を通して動いたときに、なぜそこに布が必要だったのか、なぜその角度で縫われていたのかを、身体が理解する。
長谷川がつくる型紙は、過去の衣服をそのまま複製するための設計図ではない。
過去のつくり手が見ていたものを、現代のつくり手が追体験するための入口なのである。

長谷川の活動の根底には、ひとつの願いがある。
「100年前の感動を、100年後に残したい」
衣服は弱い。
光で色褪せる。
湿気で傷む。
虫に食われる。
着用すれば破れる。
保存していても、少しずつ失われていく。
しかし、衣服から受け取った感動は、人から人へ渡すことができる。
展示として。
写真として。
映像として。
文章として。
型紙として。
新しく仕立てられた一着として。
一枚のふるい布に触れた人が、その構造に驚き、ものづくりを始める。
その人が作った服を見て、さらに別の誰かが心を動かされる。
そうして、過去の感動は形を変えながら未来へ進んでいく。

衣服標本家・長谷川彰良の物語は、完成していない。
彼は今も、ふるい衣服の縫い目を追っている。
そこに残された小さな痕跡から、かつてのつくり手の思考を読み取ろうとしている。
そして、その発見を自分のなかだけに留めず、展覧会を開き、書籍にまとめ、型紙を引き、映像を撮り、人々へ手渡している。
歴史を保存する人はいる。
歴史を研究する人もいる。
ものを作る人もいる。
長谷川は、そのすべてを一つにつなごうとしている。
彼が集めているのは感動だった。
時代を越えて受け渡されてきた、人間の情熱と知恵と苦しみである。
そして彼自身もまた、その長い受け渡しの途中に立つ、一人のつくり手なのである。

今回のブログは、諸事情によりボツとなってしまったインタビュー文章を了承を得て掲載しています。(写真はこちらで撮ったもの)
ある程度の時間を割いてお話したこと(をまとめてもらった)なので、ここで供養することにします...
掲載の了承は得ています(大事なことなので二回目)
前にも同じことがあったので、それも一緒に下記にまとめます。
こっちはQ&Aでした。
Q:「構造を知りたい」
また学んだ事を活かして世の中に伝えたい事はありますか?
→「知らない」ということを知りました。
Q:100 年前の服の魅力を一言で言うとなんでしょうか?
→創造(想像)の根 でしょうか。
具体的に教えて頂きたいです!
→私は、俯瞰してみればある、近付いてみればない、と答えます。
Q:
また、なぜ構造が知りたいと思ったのでしょうか?
→印象は、これは一体なんだ?です。
力強いけど脆い。
Q:フランスの消防服はただの作業着なのに細部へのこだわりや丁寧さが今の洋服とは違うという事でしたが、具体的に教えて頂いても良いでしょうか?
→内部構造です。
Q:現代の洋服に対して何か思うことはありますか?
それを踏まえて衣服標本家としての今後の展望はございますか?
例)今の服は昔の服と比べて〇〇というところが劣っている
今後は自分の型紙を通してもっと着心地の良い服を普及していきた
→現代の洋服に対しては、
以上です。

SNSを追ってくれている方は、すでにご存じかもしれませんが『ジェントルマン・スタイル』展を開催します。
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それぞれ詳細をまとめています。
半・分解展の原点。それが紳士服。
ジェントルマン・スタイル展でお待ちしております。