服づくりに再挑戦します。
震災の日に、服づくりを諦めた私が、もう一度服をつくります。
2011年3月11日。
ファッション専門学校の卒業式&ファッションショーを翌日に控え、私は服づくりの未来を描いていました。
しかし、東日本大震災がすべてを変えました。
あの日から、服をつくる意味を見失ったままです。
それでも生きるために進んだアパレル業界。
メンズのモデリストとして、パターン製作、トワル縫い、サンプル縫い、量産パターン、工場との密なやり取り…。
ものづくりにこだわるブランドに勤め、デザインから縫製仕様に至るまで、精度を求められる現場で技術を磨きました。

しかし、そんな職場環境でも服づくりに強烈な違和感がありました。
シーズンごとに、糸からつくったオリジナルの生地を何千メートルも廃棄し、別注の水牛や貝のボタンも余れば捨て、売れ残った洋服たちは言わずもがな。
あれだけ時間と手間をかけた一着が、一瞬で価値を失う。
職人の手仕事や日本製にこだわり、お直しの専門工房も自社に設け、パリやニューヨークを始めとした海外直営店が何店舗もあるブランドの現場。
その現場にいる技術職の人間として辛かったのは、生み出した価値が、販売期間を過ぎた瞬間に坂を下りはじめる消費と生産の仕組みでした。

私は考えました。
つくらずに、つくることはできないのか。
完成品に価値を縛りつけていいのか。
時間との共存は可能か。
2016年に独立し、暗中模索のなかで型紙を販売したとき、道が開けた気がしました。
一度つくった型紙が、何十年も価値を生み続ける。
研究に没頭しても、生活ができる。
型紙に宿した構造美は、時代を越えて光を放つ。
そして私の服づくりは【構造美の具現化装置】として意味を見出せる。
そこに、大量生産・大量消費にはない、永続性と再現性がありました。
もうすぐ独立から10年です。
ここで私は、服づくりの現場で抱いた夢の実現に挑みます。
私は、洋服をつくることができる。
型紙も、生地も、付属もつくることができる。
そして、そのすべてを、公にし、提供することができる。
「つくりながら、つくることを共有するブランド」をつくってみたい。
私が愛でて研究する服は、本来、刹那的な価値で終わる器ではない。
構造、素材、歴史、そのすべてが、使い手とともに長く生きられるはずです。
それを証明するために、ブランドを始めます。